ー1×50×50のコーラスー【贈る言葉/望月敬明先生の巻11】

 合唱・合奏などのアンサンブルは、いうまでもなく複数による音楽ですが、それは一見、ただ単に個人の力が1+1+1……というように足し算的によせ集ってつくられるというように考えられます。しかし現実的には、同じ素材(音楽)を扱いながら、同じグループも出来、不出来があり、つまりきく者に訴え、迫り、感銘を残す、つまり濃度を感じさせるまでの音楽に到る時と、そうでない時があるし、又、10人のアンサンブルの方が50人のそれにも増して、より訴える力を発揮することがある、という事実は、しばしば誰もが経験することです。
 何故でしょう。それには色々の要素が考えられますが、大きな一つの要素に「複数による」という秘密がかくされていそうです。つまり複数によるとは、個々が、1であるその基盤の上に、50人によるものならば先ず50人の影響をうけ50の力となり、その50の力が50人倍されるという、つまり1×50×50といった掛け算的秘密をはらんでいるからでしょう。こういった秘密が十分に発揮された時、そのアンサンブルは、その機能を駆使して、その上によりいい音楽をつくり上げたといえましょう。しかし、もしその時1×(ー50)×50の現象をみたとしたらどうでしょう。それは明らかにー250であり成功した+250の音楽との差はまさに500ということになりましょう。明らかに出来・不出来があるといえましょう。又、この理から10人のアンサンブルが50人のそれに優るという現象もうなづけます。
 ここらにアンサンブルの一つの秘密が、魔性が、又魅力がかくされているのではないでしょうか。いつも50人のコーラスは+250の、いや+250+アルファのコーラスであることを目ざし、心がけ、自分も楽しみ、ひとにも楽しみを生む契機となる程のものであってほしいと願っております。
 今夕の諸君の音楽が是非そういった(+)のそれであることを祈っています。

1971年12月18日
顧問 福井大学教授 望月敬明

過去の贈る言葉 投稿履歴
ー真実をー【贈る言葉/望月敬明先生の巻10】
ー過ぎゆくもの、留るものー【贈る言葉/望月敬明先生の巻9】
ー見えていないものを見るー【贈る言葉/望月敬明先生の巻8】
ー思いを定着するー【贈る言葉/望月敬明先生の巻7】
ー会場をわかすー【贈る言葉/望月敬明先生の巻6】
ーその時生きているー【贈る言葉/望月敬明先生の巻5】
ー楽しみへの期待ー【贈る言葉/望月敬明先生の巻4】
ー「残心」ということー【贈る言葉/望月敬明先生の巻3】
ーいわずとしれることー【贈る言葉/望月敬明先生の巻2】
ーいい音といい音楽ー【贈る言葉/望月敬明先生の巻1】

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