ー「手づくり」・・・いや口づくりかもー【贈る言葉/望月敬明先生の巻15】

 このところ、歯の工合が悪くてかみ合せが気になって仕方がない、そこで一つの連想が走る。コーラスも要はかみ合せ如何、パートの中でのかみ合せ、そして又各パートとのかみ合せ、そしてそのかみ合せをどういうスタイルでイメージするかは、かたい言葉でいえば指揮者の音楽性そのものに係ってき、そして音楽はやがて人々のまえに提示される。こういってしまえば、音楽も単純にコンピューターの作動のように、プログラムさえ指示し、即ち各パートをイメージし訓練しそして全体をイメージし練習をつみ、これと決めたところでさっと一振りタクトを下す、即ちボタンを押せば結果は寸分の狂いもなく自動的に出てくる、そういう風にいってくれれば至極明解、いうところなし?かも知れないのだが、そこが機械と人間の違うところ、決して指示通りには結果は出ない。つまり音楽は、遂には最期まで人間の手を離れるわけにはいかない、音楽はあくまでも「手づくり」であるということである。そして、それと同時に又、その最期というものの限界もない、果しない人間との係りである。
 
 今まさに浮世は人間疎外といわれ、それなればこそ「ディスカバー人」の喧伝されるこの時、音楽は先程申した本質を以て、この願いに応之うる一つの大きな手掛りなのでありましょう。
 
 コーラスが手づくり?いや「口づくり」でした。

 

1973年2月4日
福井大学教授 顧問 望月敬明

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